茜町春彦パーソナルメディア

投稿は不定期です.

「読書ログ」

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題名:手話を生きる
著者:斎藤道雄(みすず書房、2600円税別)
発行:2016年12月26日第4刷

感想:本を購入しようと思い至ったところから話そうと思いますので、少々長くなると思います.ちゃんと書けるでしょうか.心配です.

・・・がんばれ、茜町くん!・・・

あれは6月24日、土曜の夜、TBSラジオの番組を聴きながらパソコンで作業をしていた時の事です.司会のライムスター歌丸とゲスト(この本の著者)が対談しているのが聞こえてきました.手話がテーマのようです.手話について特に興味はなかったので、ぼんやり話を聴いていました.

・・・BGMがわりだね・・・

そのうち『日本手話』は『自然言語』であると言っているのが耳の中に入って来ました.さらに『日本手話』は『自然言語』であり、『対応手話』は『人工言語』であるとか、何とか言っているのです.

手話について深く考えたことは、特にありませんでした.まぁ、頭の中にある日本語を、音声に変える代わりに、手の動きに変えるだけのジェスチャーだろうと云うくらいの認識でした.

・・・だけど面白そうなテーマじゃない、茜町くん!・・・

興味は湧き出していたのですが、途切れ途切れに聞いていました.

・・・シャットダウンして、ちゃんと聞けばいいじゃん!・・・

ひと区切りついたので、シャットダウンしてラジオの前に座りなおしましたが、番組は終り掛けていました.もっと早くから聞けばよかったなと後悔しましたが、後悔役に立たずです.

しかし、ゲストは本を出版していて、名前は斉藤道雄で、書名は手話を生きるであることをメモすることが出来ました.本を読めば、聞き逃したところが分かるかなと思い、ともかく翌日書店へ走り(歩いていきました)、購入した次第です.

・・・茜町くん、ここまでの説明、無駄!・・・

そして読み始めました.ラジオでおぼろげながらも聞こえていたことが、予備知識となり、助けになりました.ラジオを聞かなかったら、読むのに戸惑ったと思います.その前に買わなかったでしょう.

・・・予備知識とはどういうことかなぁ・・・

手話には2種類あると云うことです.『日本手話』と『(日本語)対応手話』です.以下は要約と言うか、僕なりの理解です.

『日本手話』は、生まれた時から聴覚障害のある聾者の間で自然発生的にできた自然言語で少数派です.

『対応手話』は、すでに音声日本語が頭の中にある中途失聴者や難聴者が使いやすいように健聴者によって設計された人工言語で多数派です.

『対応手話』は音声日本語を手の動きに変換するだけなので、音声日本語を第一言語として既に習得している中途失聴者には覚えやすいらしいです.しかし、生れた時から音声を聞いたことのない聾者には、覚えづらく使いづらいらしいです.多分、聾者には『日本手話』が、中途失聴者には『対応手話』が、適しているのでしょう.

読み終わって、『日本手話』派閥と『対応手話』派閥があるらしいと云うことに気付きました.この本の著者は健聴者ですが『日本手話』派閥です.聾教育、聾運動において派閥の対立があるようです.

・・・それで、どういう本なの・・・手話の解説書?・・・

聾教育の歴史とか手話の問題点とかを解説しています.手話自体の解説はしていません.

更に翌日、『手話ハンドブック、米内山明宏監修(ナツメ社、1000円税別)、2016年7月20日第26刷発行、(日本手話の解説をしています.対応手話の解説はしていません)』を買ってしまいました.しかし買ったはいいがどうしたらいいか考えていません.これから考えます.

・・・それにしても茜町くん、説明下手だなぁ、このまま公開するつもりかねぇ、書き直した方がいいんじゃない・・・

お恥ずかしい限りです.

・・・はぁ・・・じゃー、そもそも、どの点に興味を持ったのかね・・・

ラジオ番組を聴いて、手話が単なる通信手段ではなかったことに気付いたのです.耳が聞こえなければ、手話でも筆談でもすればいいじゃん、と云うくらいの考えしかありませんでした.

聾者が第一言語を習得する段階で四苦八苦しているなんて考えたこともありませんでした.生来の聾者と中途失聴者の違いを考えたこともありませんでした.

いま僕が手話を習ったら、頭の中では音声日本語を使って考え、文章を作り、それを手の動きに変換することができるでしょう.それは僕が既に音声日本語、つまり第一言語を習得しているからです.

もし僕が生れた時に耳が聞こえなかったら、どうやって第一言語を身に付けたらいいのでしょう.

幼児のうちに視覚を使って日本手話を覚える事が、第一言語を身に付ける事だと、本書は言うのです.そしてその日本手話は物事を考えるための手段である、つまり思考手段になると主張しています.その後に日本語は第二言語として習得すべきと言うのです.

・・・あまり内容を言って仕舞わないようにね、茜町くん・・・

あと本書の中で『ろうあ者』ではなく、『ろう者』と『あ(唖)』を省いて表記しているのは、『声を出す能力がない』ではなく『声を出す意思がない(口話を拒否する)』ことの決意表明なのだろうと思っています.

それから、『ろう者』と平仮名を使うのが一般的みたいですが、ブログには漢字を使った方が読みやすいと思ったので『聾者』にしました.

・・・んー・・・これで感想になってるかぁ・・・

以上です.